18日に父方の祖母が亡くなりました。12:36。両親が看取りました。他の親戚は、間に合いませんでした。
父はちょっと幼少時代、複雑な家庭と事情を体験しているので、ずっと長い間会うことが出来ませんでした。
でも2〜3年くらい前か、祖母がまだ生きているという親戚の連絡が届き、50年ぶりに会うことが出来ました。がんで入院していると言う知らせと共に。
正真正銘血の繋がった私のおばあちゃん、遠いから会うことが難しくて2〜3年で家族各一人、一回ずつ面識するのがやっとでした。
私が初めて会いに行ったとき、がんとは思えないくらい元気な声で、はきはきとした印象を受けました。
でも、なぜでしょうか。
私は別れ際、ごめんなさい、おばあちゃん。
心のどこかでおばあちゃんと会うのはきっとこれで最後だろうと感じていました。
ずっと独りぼっちだったというおばあちゃんの人生、20日の告別式の席ではあまりに人が少なくて、何度か参加したお葬式で一番質素で寂しいと感じたお葬式でした。遺骨も小さくて闘病生活が凄く壮絶だったことを感じました。
一つでも幸せだったことあったのかな。やっと行方がつかめて、ちょっと無理すれば会いにいけたはずなのに。幸せにしてあげたかったな。ごめんなさい、ごめんなさい、おばあちゃん。
でも、冷たくても安らかな顔で眠っていたのがせめてもの救いに感じました。
冷たいのに髪の毛はさらさらで、艶があって、きれいだったよ。
なんででしょうね。告別式でも、火葬場でも私は泣かなかったのに、雑記を付けている今、初めておばあちゃんのために涙が溢れています。
帰り際父は言いました。ある意味では祖母の死以上に哀しくて、切実な願いを家族に言いました。
「『関白宣言』じゃないけど、皆一日でも先にお父さんを置いて逝かないで」思えば私は何度も「死にたい」とか「自殺したい」とかいった記憶があります。それが私という人間です。
でも父の言葉を聞いて、なんとしても生きたいという気持ちが、少しだけだけど自殺願望を覆しました。
馬鹿だったな、私。今頃気が付いた。
生きるよ。